2009/12/25

かんちがい

クリスマスの朝、寝過ごすシアワセ、またはフシアワセ。気がつくと8時半を回っている。
ときどき、ひどく起きられないのは、わたしのせいではなくて(いえ、はい、わたしのせいですが)、より正確には低血圧のせいである。この前の健診では最高血圧が80だった。立ちくらみもする。
ふらふらと家を出て、がら空きのバスに乗り、JR駅構内のパン屋さんで、朝昼兼食のチーズもち豚ハムたまごホットサンドをパクつき、コーヒーをすする。

御茶の水駅から歩き始めて、かんちがいに気づく。どうりで、きのうどれだけネットで写真を探しても、なかったはずだ。昨日の「ツリー」は順天堂ではなく、お隣りの医科歯科大だった。おまけに「カーテン」じゃなくて、ブラインドらしい。(まあ、いわれてみれば、そうだよね)。考えてみると、順天堂は10階ぐらいしかないから、「ツリー」するには、ビルの背丈が足りないのだけれど、通院しているせいで、「ひいき」目があるのか、見知った先生や看護師さんたちの姿を重ねながら、あの光景を見ていた。あらら。まあ、もともと思い込みの強さには自信がある。

そうだ。こういうときこそ、あのマルケスの言葉を引いてくるべし。人生とは、何を記憶し、どう語るかであると。きのうの一時の妄想なり想像は、もしかしたら現実とはまったく違うものなのかもしれない。でも、あのとき感じた何かは、まぎれもなく、自分の人生の一部だったのだから。

会社につくと、もう11時。PCのスイッチを入れる。パスワードは暗記したい英単語を1語含めた文字数字にすることにしていて、今回は、いささかの願望をこめて、「静寂」である。
静かなクリスマスの朝、ないし、昼ちかく。
おそるおそるメールボックスを開くと、メリークリスマス、とはじまるメールが届いていた。

こころやさしきひとたちの季節。みなに幸あれかし。