2009/12/23

もろもろ整理

整理の基本は捨てることにある。増やしたいなら、せめて同程度容量を先に削除して、空きスペースを作らないと、新しいモノは入らない、いや、整理したいなら、捨てる前に入れてはいけない、とは常識あるものの本によく言われることで、いちおう実践しようとしている。すべてにおいて、あまり執着がないので、きっかけさえつかめれば、さほど労せず捨てられる。

今を含め、主に過去3社のブログをはしごして使った経緯があり、昔のブログを退会して抹消しようかどうか、と思いつつ、久しぶりにログインして2006年のエントリーを読むともなしに読む。驚くべきことに、内容がやたら可愛らしい。まず文体からして、ですます調だし、当然ながらハンドルネーム使用だった。今みたいに挑発的なことも書いてないし(比較的)、基本的に夢見るオトメだった(すでにだいぶトウはたっていたが)。文章だって、こんなふうに、だらだら打ちっぱなしということもなく、ちゃんと改行もしている。ブログのデザインテンプレートだって、それなりに選んでいたし(おまけにピンク地の模様)。今と同人格の人間がものしたとは思えない。はじめてのブログで、多少猫をかぶっていたところはあるにしろ、やはり時の流れと自分の変化は自分自身では把握しきれないものらしい。
これから10年後に(もし生きていたとして)見たら、何か発見があるかもしれないので、退会せずに取っておくことにした。

ついでに発見したのがブクログの「本棚」。こちらも3年弱放置していたに違いない。その証拠にセルフヘルプ系と経済入門系の、現時点では「趣味じゃない」本が山ほど登録してあって、いや、こんな本読んでたんだよなーと精神的変遷にひとしきり驚く。和書は今の志向に近いものだけ残してざっくり削除し、洋書を少しだけ登録した。今後は1冊読み(聞き)終わったら、記念に登録するとしよう。
早くも今月も23日になって、月1のaudibleのcreditが更新された。ファインマンはなかなか面白かったけれど、卒業して、これからの1ヶ月はJulian Barnes「Nothing to be frightened of 」、自伝的といわれている小説(たしか数ヶ月前の時点で最新作だったはず)。以前邦訳を読んだ「イングランド・イングランド」が面白かったからと数ヶ月前にペーパーバックを買ってみたときには、Barnesの文章はレベル的に難しいことが判明して、以来積ん読の刑に処されていたのだけれど、今回買っちゃった決め手は、朗読が著者だったこと。これは、うれしいでしょう、やっぱり。で、けっこういい声なんだな。意味の分からない単語を読み続けるのは苦痛だけれど、朗読なら難しいところは聞き流せばいいし、まして好みの声なら意味不明でも癒されるしね(笑)。

そうそう、このまえ某ネット書店のメール広告についてコメントのだけれど、あの翌日からメール広告におけるジャンル偏向性は解消された。ちゃんとマーケティングしているらしい。えらいえらい。

手帳使用頻度の少ない人間なので、いつものように、ウィークリーながら殆ど記入欄のない小さくて薄い手帳を10月頃に買ってしまっていたのだけれど、突如、無性にメモ欄の多い手帳が使いたくなって、はじめて「ほぼ日」を買ってみる。専用両面シールのリフィルまである。ほう、と思って、いろいろ、ぺたぺた、貼ってみたりする。割にいい感じ。

ガルシア・マルケスの自伝本を立読みしていて、オビの「何を生きたか、ではない。何を記憶し、どのように語るか、それこそが人生だ」という言葉が、妙に尾をひいた。さしたる記憶と語る術を持たない人間としては、どうも、すいません、というほかない。マルケスならでは、そう言い切った後に、余韻があるよなと、本を閉じる。
マルケスは(も、というべきか)読了したことがない。いずれ、読めたらよいけれども。分厚い本だった。