2019/01/06

ハラビ

日記の大切さみたいな話を聞いた(すいません、まだ途中)ので、せめて会社が始まるまでは毎日投稿するかなあ(始まったら違う形にする)と思って、ちょっとだけがんばっている。

もう少し回顧モードに浸りたいなあと思っていたところに、午後の時間が空いたので、品川に行く。品川駅は嫌いだ。渋谷の次ぐらいに。前職で6年ほど御殿山に通ったが最後まであまり好きになれなかった。たった一つ良いところがあるとすれば、それは原美術館があるところ。Webサイトを見たら、なんと2020年で閉館だそうだ。これは今日行かねばなるまい。展示があるかどうかは二の次で、とりあえず常設が見られればいい。Sophie Calleって誰ですか、てな感じで行ったのだけれど、これが収穫だった。
「ソフィ カル ─ 限局性激痛」
「限局的激痛」文字面だけで十分痛いんだけど、彼女が1984-5年当時つきあっていた男性と別れるまでの92日間とその後の90日間を写真と文章で綴った作品。特筆すべきは、彼女がその「人生最大の苦しみ」を相対化させるために、その経験を「語りつくしたと」思えるほど何度も他者に語り、代わりに共有してもらった聞き手の最も苦しい経験も併せて作品にしているところである。
別離の時と場所、その経緯を彼女は何度も何度も思い出す。その書き出しはすべて同じで、「○日前、愛している男に捨てられた」と始まる。1985年1月28日、午前2時、ニューデリーのインペリアルホテル261号室。同じ写真とほぼ同じ内容の文章がずっと繰り返されるのだが、その描写、心象風景が微差ながら変化していく。そこに惹きつけられる。
50日目を過ぎたあたりから涙腺が徐々に崩壊してきて、あわてて隣室の奈良美智さんのmy drawing roomに避難する。幸い一人である。この部屋も思い出深い。なにかと慌ただしかった前職の昼休みに一人で来て、ここで人心地ついたことが何度もある。
この年になると、こういうふうに感情的になる(あまりわめいたりしない性質なので、だいたい泣くと相場が決まっている)のは、だいたいホルモンのなせるわざだというのが事後に判明することが多いのだが、それをさしひいても、久しぶりに心動かされた。
先に「書き出しはすべて同じ」と書いたけれど、本当は違っていて、二度目に見た時、九十日目だけは、「愛していた男」と過去形になっていることに気がついた。それ以外にも、幾重にも表現されているその微差の変容のプロセスが波のようにひたひたと迫ってくる。
少し腫れた目をさましつつカフェでスティック付きの砂糖をゆっくり溶かしながらカプチーノを飲む。閉館までにまた来られるといいなと思う。
ほかは全部フランス語だったので、唯一英語で書かれていた「True Stories」を買って五反田に向かって歩く。
レッスンが始まって先生の声を聞いたらとたんに元気になる。相当なことをおっしゃっても、いい声なので、かどうかわからないけどすーっと入る。御徳である。